◆ディオファントス◆


 ◆ディオファントス

 さて、今回は、アレクサンドリアディオファントス(Diophantus)についてお話ししましょう。

 アレクサンドリアディオファントスは、ギリシア文明の中でも、最も偉大な数学者の一人でした。これまで様々な年代が推定されたのですが、BC3世紀中頃に活躍したというのは、今日では、かなり確かなことのように思えます。

 プセルス(Psellus)(11世紀)は、ディオファントスとアナトリオスは、エジプトの計算法について著述をし、その中で、極めて学識が高かったアナトリオスが、その教えの最も本質的な部分を収集し、・・・自らの著作をディオファントスに献じたと述べています。それで、アナトリオスがディオファントスの下で学んだということは大いにあり得る話です。

 アナトリオスは、BC280年頃にラオディケア (Laodicea)の司教になっていますので、彼がこの著作を、その年以前のある時期に書いたというのは疑い得ないでしょう。ディオファントスは、彼より年上であったように思えますので、恐らく、BC250-275年頃に活躍していたと推定できます。

 彼の生涯について知られていることと言えば、恐らく5世紀のものと思われるギリシアのアンソロジーの中に、奇妙な一つの問題として書かれていることだけです。その問題というのは、彼の少年時代は、彼の生涯の1/6で、1/12年後にひげを生やし、1/7年後に結婚し、その5年後に息子が生まれた。息子は、父の年齢の半分まで生き、父は息子の4年後に死んだ、というものです。その問題は、一つの点が曖昧ではあるのですが、一般にディオファントスは、33才で結婚し、84才で死んだという意味だと考えられています。

 ディオファントスは、三つの著作を書いています。1)算術(Arithmetica)、もともとは13書でしたが、そのうち6書だけが現存します。2)小論「多角数について(De polygonis numeris)」一部が現存。3)ポリスムス(porisms=不定設題)というタイトルの下の多くの命題。これらの中で、最も重要な著作は「算術(アリスメティカ)」で、題名が示しているように計算法とは区別される数の理論に関するものです。今日でいうと、代数に属する多くのものが含まれています。

 一次方程式は、限定されたもので、未知数は正の数になるように枠が設けられています。限定(determinate)二次方程式を解くのに、ディオファントスは、解が二つとも正の数になるときでも、一方の平方根だけしか採用しませんでした。三次方程式は、ただ一つ特別な場合についてだけ解いています。しかし、そうした方程式の更なる展開が、失われた著作の中にあったかも知れませんが。彼の不定方程式は、一般に、Ax+C=yyと Bx+C=yyの型のもので、連立二次方程式論は、特殊な場合についてのみ述べられています。