◆3世紀の中国◆


 ◆3世紀の中国◆

 3世紀、最もよく知られた中国の数学者と言えば、劉徽(Liu Hui)でしょう。263年、彼は「海島算経(Sea Island Arithmetic Classic)」という書物を書いています。恐らく、それに含まれる最初の問題から、書名は取られたものと思われます。この問題は、次のような言葉で始まります。「海に一つの島があって、それを測量しなければならない」

この著作は、高さや距離の測定に関するもので、その規則は、代数公式の巧妙な操作法に、幾分なりとも精通していることを示しているように思えます。劉徽は、また、九章算術の注釈も書いています。この仕事をすることで、「海島算経」の資料を蓄積したようにも思えます。

 3世紀の他の著述家として、易経神秘主義に関する指導的権威である王充(Wang Pi)、π=142/45と主張した天文学者、王蕃(Wang Fan)、「数術記遺(Omissions noted in the Art of Numbers)」を書いた徐岳(Siu Yo)(250年頃)、3世紀の灌漑技術者李冰(Li Ping)、恐らく、π=3+1/8を提示した Liu Chih(?)(289年頃)、そして上述の徐岳(Siu Yo)の著作について注釈を書いた甄鸞(Hsu Yueh)があげられます。