◆インド◆


 ◆インド◆

 この時期(5世紀まで頃)、インドの注目すべき貢献といえば、恐らくヒンドゥーの数体系でしょうが、それについては、ここでは議論しません。インドの数学の歴史で、次に重要なことは、年代的には数詞の文書に先立つ出来事ですが、それはアレクサンダー大王の軍隊がこの国への侵入(BC327年)したことで、インドの宮廷に駐在するギリシア使節の派遣でした。

この出来事が、学問科学、特にヒンドゥー天文学にどれほどの影響を及ぼしたかは、現在言うことは難しいことです。しかし、後のヒンドゥーの著述家たちが、jamitra(ギリシア語のδιαμετροs)、kendra(κεντρον)、 dramma(δραχμη)といったギリシア語を採用して用いていることは、注目に値するでしょう。

 キリスト教紀元が始まるちょうど前に、北方から多くの侵入があり、ギリシアの学問が広がることを深刻に妨げました。そして、AD4世紀には、インドの古代の学問で、明らかにギリシア天文学を置き換えようとした少なくとも一つの著作が現れます。

 今日まで知られているインドで生み出された天文学に関する最初の重要な著作は、スーリヤ・シッダーンタ(Surya Siddhannta)-- 恐らく5世紀初め頃書かれたものでしょうが、私たちには、後の時代の写本でしか知られていません--です。シュルヴァスートラ(Sulvasutras)の儀式の数学公式は、今や星の数学に席を譲ってしまいました。この変化は、恐らく、アレクサンダーの時代以後も、インドに定住した古代ギリシア人の子孫によって、ずっと評価されていたギリシアの学者の著作の影響によるものだったでしょう。

後に述べることになる、ヴァラーハミヒラ(Varahamihira)は、5つのシッダーンタのことを語っていますが、スーリヤ・シッダーンタを第一においています。5つの中に、恐らく、同じ時代頃のものと思われるパウリサ・シッダーンタ (Paulisa Siddhanta)があります。これには、初期ヒンドゥーの三角法、現代の数式で書き表せば、次のような規則になる優れた要約が含まれています。

 sin30=1/2, π=√10, sin60=√1-1/4

また、この著作には、明らかにプトレマイオスの弦の表(table of chords)に由来すると思われる正弦表も含まれています。

 ヒンドゥーには、信頼できる年代学も、インドの学問科学へのギリシア文明の影響についての入念な研究もありませんので、この時期のインドの数学の業績について、満足のいく評価を与えることはなかなか困難です。