初期キリスト教会の音楽(その3)


 迫害と分裂

 キリスト教徒に対する迫害は、教会形成期からすでに始まっており、ステパノ(ステファヌス)が最初の殉教者となりますが、本格的迫害は、ローマに伝えられてからで、64年に発生したローマの大火を口実に行った皇帝ネロの迫害に始まるとされています。最大の迫害は、3世紀末ディオクレティアヌス帝によるものです。

 コンスタンティヌス一世が帝位につくと状況は一変。313年「ミラノ勅令」でキリスト教は公認され、テオドシウス帝の布告により、唯一の国家宗教とされます。

 この頃、キリスト教の根拠地は、シリアのアンティオキア、エジプトのアレクサンドリアギリシアコンスタンティノープル、ローマとエルサレムの5ヶ所となり、意志の統一を図るために宗教会議が開かれることになります。

 第1回公会議、325年ニカエアで。アリウス派が異端とされます。また、ニカエア信条(ニケア信経)が制定されます。これは信仰告白クレド)の原型です。
 第2回公会議コンスタンティノープルで、381年。三位一体を正式に公認。
 第3回公会議、エフェソス(エペソ)で、431年。ネストリウス派を異端とします。
 第4回公会議、カルケドンで。両性論が正当とされ、単性論は退けられます。
 シリア、エジプトの教会は単性論を支持。その代表がコプト教会エチオピア教会。シリア正教会も単性論。この地域でカルケドン公会議の決定を受け入れた少数派は、メルキート派(皇帝派)。

 ネストリウス派は、一般にはアッシリア教会として知られ、ペルシアからインドに伝わり、中国では景教として知られています。

 もともと単性論を支持していたシリアで、十字軍の影響からローマ教会に従うようになった一派は、指導者の名からマロン派と呼ばれます。

 それぞれの宗派に様々な聖歌があります。どのような変遷をたどり、今日の形態をとるに至ったのか、今日の形がどれほどもとの形態を保っているのか、音楽の研究する学者たちに与えられた重要な課題です。