◆メソポタミアのキリスト教学者 - セボフト◆


 ◆メソポタミアキリスト教学者 - セボフト◆

 イスラムの勢力の勃興の時代、やがてはアラビア人によって支配される地域には、キリスト教の学問の中心がありました。こうしたものは、近東全体に散在していた修道院に見いだせるでしょう。こうした隠遁所で教えた学者の中で、7世紀最も学識ある人は、セウェルス・セボフト(Severus Sebokht)です。彼は、司教アタナシウス・ガンマラ(Athanasius Gammala)(631年没)と彼の後継者ヨハネ(John)の時代、ユーフラテス川のほとりにあるケンネシュレ(Kenneshre)の修道院に住んでいた名義司教(titular bishop)でした。

彼は、哲学、数学、神学の研究で秀でていて、彼の時代、ケンネシュレの修道院は、ギリシア学について西シリアで主要な地位を占めるようになっていました。彼は、天文学アストロラーベ、そして地理学について著作しています。662年に年代付けられる、私たちに(現代に)まで伝わっている彼の著作の断片の一つで、彼はヒンドゥーの数詞に直接触れています。彼は、シリア人を見下すあるギリシア人学者たちの横柄さに傷付けられたように思えます。そして、シリア人を擁護して、彼らのために天文学の発明を(自分たちのものだと)主張します。

彼は、ギリシア人はバビロンのカルデア人の単なる弟子にすぎない事実を述べ、この同じカルデア人が、敵対者(ギリシア人)の非難するまさにそのシリア人であったと主張するのです。彼は、学問は普遍的なものであり、それを探究する努(労)力を惜しまないいかなる国、いかなる個人にも得られるものであるといって議論を終えます。つまり、彼にとっては、学問は、ギリシア人の独占物ではなく、国際的なものなのです。

彼(セボフト)が、次のような言葉でヒンドゥーについて説明をしながら語っているのはこうした関連からです。

「シリア人とは同じでない民族のヒンドゥーの学問について、どんな議論ももう止めることにしよう。彼らの天文学というこの学問における難解な発見、ギリシア人やバビロニア人の発見よりも独創的な発見、彼らの価値ある計算法などのことは。彼らの計算は言語を絶する。この計算は、9つの記号だけでなされるとだけ言っておこう。ギリシア語を話すだけで、彼らが学問の極致に達したと信じている人が、万一これらのことを知ったなら、彼らは相当の学問を知っている人たちが他にもいることを確信するだろう。」