◆零の歴史(その2)◆


 ◆零の歴史(その2)◆
 http://www-history.mcs.st-andrews.ac.uk/history/HistTopics/Zero.html

 人は、位取り記数法がかつて存在するようになったとき、空(数のない)の場所を示す記号として0はなくてはならない必要な考えであったと思うかもしれません。しかし、バビロニア人たちは、この数字を用いずに位取り記数法を1000年以上にわたって用いてきました。さらに、バビロニア人が何か曖昧さで問題があったと感じた証拠も絶対的に何一つありません。驚くべきことに、オリジナルの数学のテキストが、バビロニアの時代から残っています。バビロニア人は、焼いていない粘土板にクサビ形文字を用いて書きました。文字は軟らかな粘土板に木筆の先を斜めにして押し付けて書かれたので、くさび形をしていました(それでクサビ形文字という名がついたのです)。紀元前1700年頃の多くの粘土板が現存しており、私たちはオリジナルのテキストを読むことができます。もちろん、彼らの記数法は、私たちのものとはまったく異なっていて(10に基づくのではなく60に基づいています)、現代の我々の記数法に書き換えると、2106と 216の区別がつかないでしょう(文脈でどちらを意図しているのか示さなければならないのですが)。バビロニア人が二つのクサビ形文字を、 216あるいは 21''6のように、私たちが零を置いてどちらのことなのか示すように、クサビ形文字を置くようになるのは、紀元前400年頃になってからのことです。

しかし、2つのクサビ形文字が使われたのが唯一の記数法ではなく、今日イラク南中部にあたるバビロンの東に位置する古代メソポタミアの都市キシュで発見された粘土板には、異なる記数法が使われています。この粘土板は、日付から紀元前700年頃と考えられているのですが、3つの鈎を使って位取り記数法の空の場所を示しています。同じ頃の年代の他の粘土板は、空の場所に鈎は1つだけしか使っていません。空の位置を示す異なるこの印の用い方には、共通の1つの特徴があります。それは、数字の最後には決してこなくて、常に2つの数字の間あるという事実です。つまり、21''6というのは見つかっていますが、216''というのは決して見つからないということです。これらの場合には、まだいずれを意図するのか示すのに、文脈で十分であったというより古い感覚を確認しなければならないでしょう。

この文脈への言及がばかげているように思えるなら、私たちは、今日でもまだ、数を理解するのに文脈を使っていることに気づく必要(価値)があるでしょう。もし、私が 近くの町までバスに乗っていくことになり、運賃がいくらか尋ねるとするなら、「スリー・フィフティ」という答えは、3ポンド50ペンスであることが分かります。さらに、その同じ答えが、エジンバラからニューヨークへの航空運賃についての問いに対してなされたのなら、それが350ポンドであることを知っているでしょう。