中世からルネサンスへ(その7)
教会とオルガン
オルガンと教会との関係がいつどのようにして始まったかは、未だに大きな謎です。
8世紀までは、オルガンは楽器というより音を出す珍しい道具として扱われていた可能性が大きい。
757年、フランク王ピピンに贈られたオルガンと、812年コンスタンティノープル王がカール大帝(シャルルマーニュ)に贈ったオルガンの話は有名です。
9世紀から12世紀の間にオルガンは次第に楽器としての役割を確立していきます。
少なくとも14世紀までに、ヨーロッパ各地で教会にオルガンを設置する習慣が一般的となってくるようです。現在なお演奏され続けている最古のオルガンは、 1380年頃に製作されたもので、もともとサヴォワのアボンダンス大修道院に設置されたものですが、後にレマン湖畔のシオンのノートルダム・ドゥ・ヴァレール聖堂に移されたものです。
フランチェスコ・ランディーニ
教会にオルガンが普及するにつれ、オルガニストの地位も確立します。花の都フィレンツェでは、14世紀後半に大聖堂はじめ、いくつかの教会にオルガンが設置されます。それとともに、オルガニストの名も知られるようになります。
最も有名なのは、トレチェント音楽の代表的作曲家として知られるフランチェスコ・ランディーニ(1325年頃-1397年)です。
当時の人文学者ヴィッラーニは、「オルガンの演奏にかけては、これ以上優れた腕前を持った者はいない」とまで言っています。
当時のオルガニストたちは、教会でどんな演奏をしていたのでしょう。それを解く鍵は、世紀の変わり目頃に写されたと思われる一冊の手書きの曲集の中にあります。それは、北イタリアのファエンツァ市立図書館に保管されていることから、「ファエンツァ手写本」として知られるものです。もともとフィレンツェを含むトスカナ地方で編集されたもので、14世紀後期の鍵盤音楽のための作品約50曲を集めたものです。
多くは世俗的な性格の作品ですが、中に8曲だけ教会の礼拝で演奏されたと思われる作品があります。
いずれも左手で聖歌の旋律を弾き、右手でそれに装飾的な対旋律をつけるという手法をとっています。また、オルガンの演奏と聖歌隊による斉唱を交互に行う演奏方式を取っていたことも示しています。
アルテルナティム奏法
晩課の賛歌「めでたし、海の星よ (Ave maris stella)」も、聖歌は同じ旋律を繰り返しながら数節歌う有節形式を取っているので、聖歌隊の斉唱とオルガン独奏とを交互に演奏したものと思われます。このように交互に演奏する方法を、一般にアルテルナティム奏法と呼んでいます。
こうした演奏方法は、12世紀アキテーヌのオルガヌムにおいてすでに知られており、16世紀には、特に北イタリアのオルガン作品の多くが、このアルテルナティム奏法によっていたことが明らかになっています。