◆ペロティヌスのオルガヌム◆


 ◆ペロティヌスのオルガヌム

 オルガヌム大曲集のドゥプルムが最も初期の2声のハーモニーを見せてくれるのと同様、トリプルムとクァドルプルムもまた、最も初期の段階の三声及び四声のハーモニーを私たちに見せてくれます。

 ペロティヌスの大クァドルプルムは、その資料だけでなく、規模の大きさでも新しいものです。--単旋律聖歌の音は、実際、しばしば音楽の構成の上での単なる基盤(土台)にされてしまっています。加えられたパートが、たとえ、聖なる対象物、神によってインスピレーションを与えられた「グレゴリオ聖歌」の旋律の単なる装飾にすぎないという理論があるとしても、その装飾そのものが、いっそう巧みに構成されました。

 ペロティヌスの二つの大クァドルプルムは、「大曲集(Magnus liber)」に彼が寄与したうちで最も立派で印象的な部分にすぎません。Anonymous IVは、ペロティヌスは「多くのクラウスラあるいはプンクトゥム」や三声、二声、また「単声」のコンドゥクトゥスを作曲したと語っています。

 コンドゥクトゥスは、「正しくは、エスコートのための歌、特に儀式での行列のための歌を意味します。そのための儀式は、司教職の人が典礼の儀式を行う途中あちこち移動するときに必ず、典礼に現れる」のですが、それが「一般に、韻文形式のテキストを伴った歌を意味する」ようになります。それは、典礼の中で、特定の儀式への、あるいは、礼拝の終わりに先立つ変わり目(transition)として利用されました。

 「ノートル・ダム」の時代までには、それは世俗の曲でも用いられるようになっていました。詩も音楽もともに、自由に作られストロフィックでありました。コンドゥクトゥスは、初め、1100年頃の「聖マルティアリス(マルシャル)」の写本群に現れ、すぐにポリフォニー的になります。

 ペロティヌスは、明らかに「Dum sigillum」の二つのパートを同時に作曲したのですが、下のパートは--あるいは、むしろ最も下に「書かれ」パート--は、全体的に、最初に構想を得たでしょう。構想を得たか借用したでしょう。というのは、多くの場合、基本的なパート、すなわち、モノディ的なコンドゥクトゥスの唯一のパートは、フランスやプロヴァンスの宮廷歌や民衆の歌のラテン語コントラファクタ(翻案)であり、ラテン語の詩の多く(ペロティヌスの「単声のコンドゥクトゥス」「Beata viscera」を含む)は、すでに言及したパリの大法官(Chancellor)、フィリップ(Philippe)の作品であったからです。

 加えられたパートは、本質的に、一音対一音のものです。しばしば、若干装飾が施されたり、音節的なパッセージ - その時代の伝統として、また恐らくモーダル・リズムで歌われたことを意味するのでしょうが、主としてロンガで記譜されていますが - は、時折、メリスマ的なパッセージと交互になっていることもあります。そのメリスマ的なパッセージというのは、引き延ばされたり、テキストがない場合は Anonymous IVがカウダ(caudae)と呼んでいるものです。