◆バグダード◆


 ◆バグダード

 イスラムの隆盛の下、数学が最も奨励されたのは、チグリス川のほとりにあるバグダードでした。古代都市の廃墟の上に、アッバース朝のカリフ、アッバスの子孫の一人、アル・マンスール(al-Mansur)(712-744/5)によって建てられたバグダードは、イスラム世界の知的中心となり、学問の繁栄において、第二のアレクサンドリアとなります。

 アル・マンスールの統治下(766年頃)、シンドヒント (Sindhint)という名の著作が、カンカ(Kankah)(マンカ?(Mankah?)というヒンドゥー天文学者で数学者であるインドの学者によって、彼の宮廷にもたらされたと言われています。その著作は、こうしてバグダードの学者たちに知られるようになりました。この著作は、スーリヤ・シッダーンタであったかも知れませんし、シッダーンタという題名の何か別の書物であったかも知れません。シッダーンタという言葉は、それが意味すると思われる他のどの言葉よりもシンドヒントに近いからです。一般には、それはブラフマグプタのブラフマシッダーンタ(Brahmasiddanta)であったと信じられています。というのも、彼の著作が当時のバグダードにもたらされたことがわかっているからです。

 カリフの宮廷に、そのように物語の中に書かれているのですが、ヤクブ・イブン・タリク(Yaqub ibn Tariq)(796年没)という名のペルシア人も来ていました。彼は、天球(数学的天文学)と暦について著作し(775年)、校訂し、恐らく上述のブラフマグプタの著作を翻訳するのを手伝っただろうと言われています。

 同じ宮廷に、(この事実の記録は、幾分より信頼できるのですが)天文学者アブ・ヤフヤ(Abu Yahya)が来て、そこで、彼はプトレマイオスのテトラビブロス(Tetrabibilos)を翻訳し、こうしてギリシア哲学の古典をカリフの宮廷に伝えることになる大きな運動を起こす手助けをしました。

 同じ頃、アル・ファザリ(al-Fazari)(777年没)は、バグダードで仕事をし、占星術と暦について著述しています。彼は、知られる限り、アストロラーベを制作し、数学的器具について著述した最初のムスリムでした。彼の有名な同時代人、イェーベル(Jeber)は、アラビア人最大の錬金術師であり、アストロラーベについて、また、恐らく数学についても著述したでしょう。

 すでに述べたアル・ファザリの息子である、もう一人のアル・ファザリは、特に天文学の分野で非凡な学識ある人物ですが、カリフによって、カンカ(Kankah)によってバグダードにもたらされたシッダーンタを翻訳するように求められました。モハメド・イブン・ムーサ・アル・コワリズミ(フワリズミ)(825年頃)が彼の天文学の基盤にしたのは、この翻訳でした。