ルネサンス初期の教会音楽(その2)


 ギョーム・デュファイ

 一生の一時期を除き、終生礼拝に関わる仕事に従事した生粋の教会人でした。
 1409年、9歳(推定)でカンブレ大聖堂の聖歌隊のメンバーに加えられます。
 1420年、リミニの領主マラテスタ家に音楽家として仕えます。
 1428年10月、正式にローマ教皇礼拝堂のメンバーとして記録されるようになります。
 1439年まで、教会礼拝堂を中心に活躍。

 デュファイの作品

 教会音楽中心でした。80数曲のシャンソンとその他世俗歌約十曲をも残していますが、確実にデュファイのものとされる典礼のための音楽は、
 ミサ典礼用45曲、聖務日課用44曲
です。他にモテトゥスが30曲ほど残っていて、その大部分は教会のためのものです。

 モテトゥスの様式には、1) 中世伝来のイソリズムの技法を用いたもの、2) イソリズムによらず自由に作曲したもの、3) シャンソンラテン語の歌詞を付けかえて宗教歌曲にしたものがありました。
 既成の作品の歌詞を付けかえて目的の異なる作品に変えてしますことをコントラファクトゥムと言います。デュファイは、イソリズムのモテトゥスを残した最後の作曲家の一人です。

 フィレンツェ大聖堂献堂式のための祝典曲

 デュファイの代表作として知られる4声の「新たにばらの花は(Nuper rosarum flores)」は、近代和声の起源をここに見る学者が少なくないほど見事な効果を上げています。
 この曲を締めくくるアーメンは、全曲を通じて特に響きのよい印象を与えます。一つには、イングランドのファバートンの書法を見習ったフォーブルドン技法を応用していることにもよりますが、最も決定的なのは、最後の2つの和声が近世の音楽同様、属音(ドミナント)から主音(トニック)へ移動していることです。

 デュファイは、「新たにばらの花が」を含めて13のイソリズムによるモテトゥスを残しています。そのほとんどは、特定の祝典行事のために作曲されたものです。