ルネサンス初期の教会音楽(その5)


 バンショワ

 表情豊かな旋律を書くことにかけては、デュファイやダンスタブルを凌いでいました。その才能は、世俗的なシャンソンに向けられました。

 一般にバンショワとして知られるジル・ド・バンシュ(1400年頃 - 1460年)は、エノー公ギヨームに仕える評議員の息子としてモンスに生まれます。
 1420年代の後半、ブルゴーニュ宮廷の礼拝堂聖歌隊に名を連ね、以後、そのメンバーとして、さらに司祭として活躍します。
 ミサ曲は、1曲も知られていません。ただ、知られる限り史上最初の「テ・デウム」と「詩編113編」があります。イソリズムによるモテトゥスが1曲あり、それは、1431年1月18日に行われたフィリップ善良公の長男アントワーヌの洗礼式のために作曲された「新しい旋律の歌(Nove cantum melodie)」です。

 アントワーヌ・ビュノワ

 ブルゴーニュ宮廷で活躍した音楽家は少なくありませんが、教会音楽を書き残した作曲家は、一世代後のアントワーヌ・ビュノワ(1430年頃 - 1492年)ぐらいしかいません。しかも、残した曲は、2つのミサ曲と賛歌・マニフィカート、聖母マリアの公唱などの典礼曲やモテトゥスが10曲あまり残っているだけにすぎません。

 1430年代から 80年代の教会音楽

 この時代、教会音楽の作品数は、増加の傾向をたどります。主な曲種は、ミサ曲を含めてミサ通常文ですが、その他にもミサ固有文や聖務日課のための作品も少なくありませんし、自由に作曲したモテトゥスもあります。ほとんど作曲者不詳のままですが。

 重要なことは、これらのレパートリーが、全体からみると音楽様式の大きな流れを示していることです。15世紀半ばから後期にかけての数十年は、生まれて間もないルネサンスの教会音楽が育まれ、成長し、完成する歴史でした。出発点は、ダンスタブルとその影響下で大成したデュファイでした。そして、その到達点は、ジョスカン・デ・プレを始めとする世紀の変わり目に活躍していた作曲家たちでした。