◆バグダードの他の学者◆


 ◆バグダードの他の学者◆

 アルマハニ(Almahani)(860年頃)は、一般にそう呼ばれていますが、名声を博した天文学者で、球を一定の体積の比率に分割するというアルキメデスのよく知られた問題について書いていることから最もよく知られているでしょう。また、ユークリッドの「幾何学原論」の第5書と第10書、球と円柱に関するアルキメデスの著作について注釈も書いています。

 アルキンディ(Alchindi)(860年頃)は、中世ヨーロッパで一般に知られていた名前を使いますと「アラビアの哲学者」と普通呼ばれていました。
彼は、天文学占星術、光学や数を含む非常に様々なテーマについて著述しています。クレモナのゲラルド(Gherardo of Cremona)(1150年頃)は、光学についての彼の著作をラテン語に翻訳しています。

 870年頃、バグダードにはベニ・ムサ(Beni Musa=モーゼの息子たち)あるいは三兄弟として知られる三人の学者が住んでいました。彼は、改心した盗賊で、最後はマアムーンの宮廷で幾何学天文学に一身を捧げたムサ・イブン・シャキール(Musa ibn Shakir)の息子たちでした。これらの兄弟、モハンメド、アフメド、アル・サハンのうち、最初の名(モハンメド)が最も有名ですが、三人ともすべて、ギリシアの最も優れた著作を確保し、それらを翻訳することに努めました。彼らは、医学、円錐曲線論、幾何学、計量、角の三等分、その他の学問的テーマについて著述しています。

 この時期、バグダードでは、少しの間、タビト・イブン・クォラ(Tabit ibn Qorra)が著作をしています。卓越した医者ですが、哲学や数学の著作の方がよく知られ、特に、代数を幾何学に応用するのに成功したという言明で知られています。彼は、有名な医者であるイシャク・イブン・ホネイン(Ishaq ibn Honein)(910年頃)によってなされたユークリッドの「幾何学原論」の翻訳といわゆるミドル・ブックス(middle books)、すなわちユークリッドプトレマイオスとの間の時代に書かれた書物の翻訳とを校訂しています。また、広く、天文学、「アルマゲスト」、円錐曲線論、初等幾何学ユークリッド、魔方陣、親和数(amicable numbers)、占星術についても著作しました。

 クレモナのゲラルド(Gherardo of Cremona)(1150年頃)とヨハネス・ヒスパレンシス(Johannes Hispalensis)(1140年頃)は、彼の著作のいくつかを翻訳しています。彼には息子がいて、医者で、彼もまた父親の歩みに従い、天文学幾何学について著述し、シリア語からアラビア語に翻訳されたアルキメデスの作品の一つを校訂しています。