◆アルマムン以後◆


 ◆アルマムン以後◆

 バグダードの初めの三人のカリフの統治以後も、天文学という学問は数学の控えの間であり続けました。アルブマサル(Albumasar)(886年)は、占星術に関するアラブの著述家の中で最も有名で、この学(占星術)によって天文学の研究へと導かれました。アフメド・イブン・アルタイイブ(Ahmed ibn al-Taiyib)(890年頃)は、ペルシアの生まれで、アルキンディ(Alchindi)の弟子の一人でした。彼は、占星術と音楽についてだけでなく、代数と算術についても著述しています。そして、アル・ディナヴァリ(al-Dinavari)は、代数、天文学、そしてヒンドゥーの計算法について著述しました。また、有名な学者、ヨーロッパの呼び名で言うとアルバテニウス(Albategnius)(929年没)もいました。

この時期の他の多くの学者の中に、ヨーロッパでの名を使えば、ラセス(Rhases)(932年頃)と言われる人物がいたようです。彼は有名な医者で、幾何学天文学について著述しました。トルキスタンのファラブ(Farab)生まれのアル・ファッラビ((al-Farrabi)は、ユークリッド(エウクレイデス)の注釈を書き、名声を博した哲学者でした。イブン・ユニス(ibn Yunis)は、アル・バッタニ(al-Battani)と並んで、アラビア人の中で最も有名な天文学者でした。そして、アル・ハッラニ(al-Harrani)は、ユークリッドの注釈を書きました。

 10世紀には、いくらか才能の高い著述家が何人か現れます。その中で最もよく知られているのは、アブル・ウェファ(Abul-Wefa)(940-998年)です。彼は算術、代数、幾何学天文学に関する著述家としても卓越していました。

 アル・ナイリツィ(Al-Nairizi)(922/3年頃)は、10世紀のユークリッドに関する有名な著述家の一人でした。彼は天文学幾何学に関心があって、プトレマイオスユークリッド両者の注釈を書いていますが、最もよく知られているのは、クレモナのゲラルドによってラテン語に訳された「幾何学原論」の注釈です。