◆カッシオドルス◆


 ◆カッシオドルス◆

 最初のキリスト教学者たちの中に、数学や自然科学に何らかの関心を持った人はほとんど見いだせないだろうと予測するのは当然です。彼らの宗教的信仰はあまりにも激烈ですし、その迫害はあまりに現実的で、彼らの生活はこれらの分野の思索をするには、あまりにも不安定であったからです。

2・3のキリスト教徒の名があげられていますが、彼らの数学への貢献は取るに足りないものです。しかし、5世紀が終わると共に、キリスト教は十分強大になり、宗教的信仰以外にも興味を持つ知識階層の発達を可能にしました。こうした階層の中に、私たちは数人の学者の名を見いだします。彼らはある程度の古典時代の数学の知識のあることを示しています。

 これらの著述家の中に、古代ローマの一族の末裔、マグヌス・アウレリウス・カッシオドルス(Magnus Aurelius Cassiodorus)がいました。彼は優れた政治家で、ローマの最後の支配者によっても東ゴートの後継者によっても尊敬されていました。彼はウィウァリウム(Vivarium)に修道院を創設し、その壁の中で晩年を過ごしました。彼は、聖職者には高い水準の知識を要求し、彼の著作は当時の状況が許した範囲内で、彼が他の者たちに要求した知識を彼自身が持っていたことを示しています。

カッシオドルスは、「自由学芸の技法と訓練について(De artibus ac disciplinis liberalium literarum)」七つの自由学芸--三学科(trivium)を構成する文法、修辞学、弁論法と四学科(quadrivium)を構成する算術、幾何学天文学と音楽--の平凡な要約を書きました。この著作は中世の学校で広く用いられますが、学問でのこのわずかな試みほど学問の低い状態を示すことのできるものはないでしょう。