◆6世紀 - その他の著述家◆


 ◆6世紀 - その他の著述家◆

 カッシオドルスの時代より少し前に、「文献学と水星との婚礼(Nuptials of philology and Mercury)」として知られる百科事典の著者、マルティアヌス・ミネウス・フェリクス・カペッラ(Martianus Mineus Felix Capella)が活躍していました。これは散文と韻文との入り交じった作品で、著作の一部は幾何学についてであり、別の一部は算術についてでした。算術との関連で言うと、カペッラは様々な数字と想像上のより小さな数についての謎について議論していますが、その書はカッシオドルスの書よりはるかに内容に乏しく、それを補う点と言えば、水星と金星が地球ではなく太陽の周りを回っているという陳述があるだけです。

 5世紀の終わる前に、ダマスクスに一人のシリア人、その誕生の地からダマスキオス(Damascius)という名をとった人物が生まれています。彼は重要な新プラトン主義者の最後の人物で、プロクロス(485年頃)の後を継いだマリノス(Marinus)の弟子でした。彼は 510年にアテネの学校の長となります。ユスティニアヌス帝アテネのその異教の哲学の学校を閉鎖した時(529年)、ダマスキオスはペルシアへ行きますが、5年後(534年)に戻っています。彼の著作は、ほとんど哲学的なものですが、彼の名は、疑いなく、ユークリッド(エウクレイデス)の「幾何学原論」に加えられた15番目の書と関連づけられています。

 アルケニアヌス写本(Codex Arcenianus)は、6世紀に書かれたように思えます。それは田園の自然の法則に関する問題に広く関与している一方、ローマの測量技師に関する情報もかなり含んでいます。

 その世紀(6世紀)の間、他に言うべき事はほとんどありません。それはヨーロッパの知的発展の曲がり角の最も低い時点を代表しています。教会の要素は、民衆全般の無知を克服することはできませんでした。そして、アイルランド修道院のかすかな光を別にすれば、ヨーロッパは闇の中にあったのです。