◆ヨークのアルクィン◆


 ◆ヨークのアルクィン◆

 数学史上、次に偉大なヨーロッパの学者はアルクィン(Al'cuin)(735-804年)です。ベーダ(Bede)の死の年に生まれ、ベーダほどの学者ではありませんでしたが、活動家であり、教会においてだけでなく国家においても優れた才能を見せました。彼はイタリアで学び、ヨークで教鞭をとり、そしてシャルルマーニュによって彼の野心的な国民の教育プロジェクトを支えるよう招聘され、ツールの聖マルティヌス(St.Martin)修道院長となりました。

彼は算術、幾何学天文学について著述し、彼の名は1000年の間、教科書の著者たちに影響を及ぼし続けたあるパズル問題の大全集と結びつけられていますが、これらの数学の楽しみの書と彼がどれほど関係があるのかは不確かで、その繋がりにはかなりの疑問が、ライデンのある写本の最近の研究からは投げかけられています。この写本は、11世紀前半に年代付けられシャバネ(Chabanais)の古代の館のアデマール(Ademar)あるいはアイマール(Aymar)という名の修道士によって書かれたかインスピレーションが与えられたと考えられています。

彼は、988年に生まれ、1030年に聖地へ赴く途上没した人物です。彼は歴史家また論客としてかなりの名声を得ており、学問的な配慮なしに大量の資料を集めていたように思えます。これらの問題は、イソップの寓話集、恐らくBC7世紀、サモス島でイソップによって始められたのでしょうが、3世紀頃バブリウス(Babrius)によって書き換えられ、中世にはさらに一層改悪されたその寓話集の中世版の一部である可能性が高いものでした。

アルクィンのものとされる問題は、ここに見いだされ、恐らく、他の何百もの人たちがそうであったように、アデマールにも興味を抱かせた寓話の中世版から、アルクィンがそれらを集めたのではないかという疑念が生じますが、それを否定する十分な根拠はまったくないように思えます。アルクィンの文学が、これがそうであるという直接の根拠は全くないのですが、一連のパズル問題を彼が書いたことを示しているのは確かです。当時の単調で面白みのない教育から解放するために十分楽しい書物を編纂しようというのは、彼の考えの中にずっとあったでしょうから。

 10世紀から11世紀の小君主たちの絶えざる個人的な戦争は、フランスを数学その他の知的発展の分野を貧しいものにしました。そして、それ故に、この2世紀は注目すべきものをほとんど生み出しませんでした。