◆マショー◆


 ◆マショー◆

 ヴィトリのかなり若い同時代人マショーは、彼と同様シャンパーニュの生まれで、もう一人の諸王に仕える教会人であり詩人で作曲家であったのですが、ヴィトリより多作で広く旅した人です。ヴィトリは、アヴィニョン教皇に王の使節として送られましたが、マショーは、ボヘミア王ルクセンブルクヨハネ (John)の秘書官として、1323年から恐らく 1337年まで、プラハだけでなくポーランドにもリトアニアにもいたでしょう。彼が、実際には、そう思われているほど多作でないとするなら、彼の作品は、本来、彼自身による監修のもと編集された全集の写本に保存されたことでしょう。

 彼に「最後のトルヴェール」というあだ名を付けさせたのは、ほぼ 1340年から 1370年頃までの間に作曲された世俗音楽でした。トルヴェールの芸術は、あらゆる意味で極めて「人工的」でした。アイソリズムは、作曲の知的基盤ですが、マショーは、作曲そのものの中に先例のない知性を示し、一方でヴィトリの音楽の乾いた冷たさも避けています。

 しかし、14世紀半ばのイタリア世俗ポリフォニーに目を向ける前に、私たちは、マショーによる二つの教会曲、一つは新鮮な方法での古い形式への奇妙な後戻り、もう一つは中世の音楽の偉大な革新的指標ですが、それについて考えなければなりません。「ホケトゥス・ダヴィデ(Hoquetus David)」は、1世紀半後の作風での「ノートルダムクラウスラ(Notre Dame clausula)」です。「ホケトゥス」と「トリプルム」の印のあるアイソリズムのテノール上の二つの声部は、いと聖なるロザリオの祈りの荘厳さのためのアレルヤの詩「ソレムニタス(Solemnitas)」の最後のメリスマ(「... clara ex stirpe David」)から形成されました。私たちは、それが、かなり新しく導入された楽器によって演奏されたと想像できるかも知れません。

 アイソリズム化とホケトゥス化も、ノートルダム・ミサ(Messe de Notre Dame)では、著しい役割を演じていますが、その際立った重要性は、音楽の壮麗さを別にして、一人の作曲家による知られている中で最も初期の通常文への作曲であるという事実です。