ローマ教会とグレゴリオ聖歌の成立(その4)


 聖歌の楽譜

 9世紀半ばから聖歌の旋律を書き留める様々な工夫がなされるようになります。ネウマ譜として知られているものですが、初期には言葉のアクセントやニュアンスを表記する傾向がありました。地方差が大きく、各地で独自に発展していたことがわかります。
 やがて音の高さを表記するようになります。アルファベットで表記する例や上下の空間にネウマを書き込んで視覚的に表示するアキテーヌ式記譜法、歌詞の母音から直接縦の棒が伸び、その高さで音高を示すノナントラ式記譜法などがあります。

 その後、横線を引くことを思いつきます。11世紀初めのイタリア中部のグイード・ダレッツォによるという説がありますが、おそらく伝説でしょう。

 最初の1本はF音。
 第2の横線は、F音より完全5度高い c音でした。F音は赤で、c音は緑で表示する工夫もされました。やがて線の冒頭にFまたは cをアルファベットで表記する方法が定着します。
 これがヘ字(音)記号とハ字(音)記号の起源です。F音より完全4度低いC音に横線を引いたこともありました。この時代、基準的な音の高さは、F音とC音におくという考え方がありました。

 やがて、線と線間にひとつずつ音をおく方法が一般的になります。線も最終的には4本に定着します。4線譜を工夫したのはグイード・ダレッツォであるという説もありますが、時代的に早すぎるように思えます。4線譜は、12世紀半ば以後に現れ、定着するのは13世紀になってからです。

 グイードは、有能な指導者であり教育者でありました。聖歌隊のための入門書「ミクロログス(Micrologus)」を著しています。また、聖ヨハネの賛歌を用いて、ウト・レ・ミ・ファ・ソル・ラという6つのシラブルと音高とを対応させ、ヘクサコルゴによる歌唱法を考案し、ソルフェージュの道を開いたことは間違いありません。