グレゴリオ聖歌の変容(その2)
続唱の歴史
続唱の作者として有名なのは、ザンクト・ガレンの修道士ノトケルで、880年に発表したとされる「リベル・イムノルム(賛歌の書)」には、33のプローズが集められています。以後12世紀にかけて一世を風靡し盛んに創作されました。
しかし、16世紀半ば、宗教改革に対応するために開かれたトリエント公会議で、歌うことが禁止されます。
例外的に4曲だけが歌うことが許されます。(作者は伝承)
「ヴィクティメ・パスカリ・ラウデス(過ぎ越しのいけにえを讃えよ」神聖ローマ皇帝礼拝堂司祭ヴィーポ作
「ヴェニ・サンクテ・スピリトゥス(来たれ、聖霊よ)」教皇インノケンティウス3世作
「ラウダ・シオン(讃えよ、シオンよ)」トマス・アクィナス作
「ディエス・イレ(怒りの日)」トマス・ダ・チェラーノ作
さらに 1727年に、ヤコポーネ・ダ・トーディの作と言われる「スタバート・マーテル(悲しみの聖母)」が続唱として歌われることになります。
劇的トロープスの発展
ミサの冒頭で歌われる入祭唱に付けられたトロープス。
最も有名な例は、復活祭の入祭唱「わたしはよみがえった」の序として書かれたトロープス。言葉の背景の説明をし、さらに対話調のものも現れます。
こうして発展し、典礼劇と呼ばれる新しい形の宗教音楽劇が生まれることになります。
典礼劇
12世紀から13世紀にかけて最盛期を迎えます。クリスマスと復活祭に盛んに演じられたようです。クリスマスの場合も入祭唱の序として対話風のトロープスが書かれ、それが劇に発展したものと考えられています。(別の説もあるようですが) 典礼劇として、三人の博士の訪問、ヘロデ王の幼児虐殺、エジプト逃避行、などが演じられています。
ロアール河畔フリーリの修道院で13世紀に筆写されたと思われる古文書に含まれる長大な典礼劇は、「ヘロデ王物語」として現在復活上演されているということです。