中世盛期のポリフォニーと宗教歌曲(その3)


 十字軍時代の中世歌曲

 オルガヌムやコンドゥクトゥスが、アキテーヌやパリを中心に教会でポリフォニー音楽の1つの頂点を極めていた12・13世紀、教会の外では、十字軍の活動が活発でした。それを支えていたのは、各地の王侯貴族とそこに結集した騎士たちでした。
 騎士社会を背景として、中世歌曲が華やかな黄金時代を迎えます。南フランスのトルバドゥール、北フランスのトルヴェール、南ドイツのミンネジンガーなど。中世の宮廷愛や大自然の美しさを歌った世俗的なものばかりですが。

 宗教的流行歌

 さらに南の地域では、宗教的流行歌が流行していました。イタリアのラウダとスペインのカンティガです。その基盤は教会や宮廷礼拝堂、修道院などで、騎士道を基盤とする北方の歌曲とは異なります。
 ラウダの起源は、はっきり分かっていません。少なくとも13世紀前半に、フィレンツェにラウデージと呼ばれるラウダを歌う団体がいたことは確かです。フランシスコ会との関係が考えられ、ラウダの起源をアッシジの聖フランチェスコに求める学者もいます。

 ラウダの発展

 フランシスコ会の活動により大いに人気を集め、13世紀末には、トスカナ・ウンブリア地方中心に大いに流行します。詩も音楽も作者不詳が常ですが、例外としてフランシスコ会のヤコポーネ・ダ・トーディ(c.1230-1306)は、92のラウダを残し、7つが旋律付きです。
 この時代のラウダは、「コルトーナのラウダ集」と「フィレンツェのラウダ集」の2つの歌集に旋律付きで残されています。
 ラウダの歌詞はトスカナ語など地方の俗語で書かれ、旋律も歌いやすく覚えやすいものが圧倒的に多い。
 14世紀には、二重唱で歌う作品も現れます。15世紀には3声部、4声部となっていきますが、主旋律に単純な和声を肉付けするようなものであり、知識階級のポリフォニーに対して、常に民衆の音楽でした。
 16世紀にヴェネチアの出版業者オッタヴィアーノ・ペトルッチは、2巻からなる「ラウダ集」を出版します。ジョスカン・デ・プレガスパール・ヴァン・ヴェールベケ、ロワセ・コンペールなどの作曲家の作品も含まれていました。ラウダは以後19世紀まで存続します。