中世からルネサンスへ(その1)


 アルス・アンティカ

 13世紀半ば、楽譜の世界に画期的な発想が生まれます。音の長短を異なる形の音符で示そうとする思いつきです。これによってヨーロッパの音楽は、特にポリフォニーが急速に発展することになります。

 そのことを最初に明確な説明をしたのは、パリ大学で学んでいたケルンのフランコ(フランク)という神学者でした。そこで、この新しい記譜法は、フランコ式記譜法と呼ばれます。
 これが、それ以後バロック初期に至るポリフォニー音楽を記録する方法として発見された計量(定量)記譜法の第一歩でした。

 こうした記譜法で書かれた13世紀後期から14世紀初頭にかけての音楽のことをアルス・アンティカと言います。

 この頃、新作分野としては、コンドゥクトゥスとモテトゥスが中心でしたが、モテトゥスは完全に世俗化し、ラテン語の代わりにフランス語が用いられ、定旋律も聖歌を用いるとは限らなくなっていました。
 一部キリエとグロリアのミサ通常文を2声3声のポリフォニーに作曲したり、トロープス付きのものも見られますが、資料によれば、ミサ通常文やコンドゥクトゥスに見られるアルス・アンティカの伝統は、イングランドで守り続けられたようです。

 アルス・ノヴァとトレチェント

 14世紀に入りますと、リズムをより正確に標記しようとするようになり、ロンガ、ブレヴィス、セミブレヴィスの3種を用いるフランコ式では満足できなくなっていました。
 より複雑なリズム表記方法がフランスとイタリアで工夫されます。そして新しいポリフォニー音楽が出現します。それが、フランスのアルス・ノヴァとイタリアのトレチェント音楽です。

 より単純で分かりやすいのは、時代的には後ですが、トレチェントの記譜法です。フランコ式記譜法を少し整理したものに過ぎません。ブレヴィスの分割法を6通りに決め、標準のブレヴィスと長いブレヴィス、短いブレヴィスを形で区別することで旋律の細かい動きを正確に示すようにしました。ただ、複雑なリズム表記には限界がありましたが。

 フランスの記譜法は遙かに組織的で極めて緻密な理論に基づいた方式です。誰が考案したかは分かっていません。
 後にフランス宮廷で活躍するフィリップ・ド・ヴィトリが、1320年頃発表した「アルス・ノヴァ(新しい技法)」という論文で、初めて説明をしています。そこで、その方式による音楽を一般に「アルス・ノヴァ」と呼びます。ヴィトリの後継者、ギヨーム・ド・マショー(c.1300-1377)が、この方式で多くの作品を書いたことから、「アルス・ノヴァ」は、14世紀フランス音楽と同義語となります。