中世からルネサンスへ(その4)


 フランドル楽派の出現

 世紀の変わり目頃には、教会のポリフォニー音楽が北イタリア一帯で盛んになり、それに伴って、イタリアの作曲家より外国人音楽家、多くはフランドル地方とその周辺からやってきた人たちですが、目立つようになります。アルス・ノヴァなどの高度な作曲技法は今ひとつですが、より現実的な教会音楽の実践を目指す音楽教育にすぐれ、多くの優れた音楽家たちを生み出し、ヨーロッパ各地に送り出すことになります。フランドル楽派の出現です。

 ヨハンネス・チコニア

 北イタリアで活躍した最初の代表は、ヨハンネス・チコニア(1335年頃 - 1411年)です。最近の研究では、二人説が出てきていますが、リエージュ出身で、そこで最初の教育を受け、イタリアに移り、最後はパドヴァで過ごしたことでは一致しています。
 チコニアは、アルス・ノヴァ、トレチェント、アルス・スプティリオールまでを含めてあらゆる様式の作曲を試み、融合し、国際様式というべき独特の音楽様式を完成させました。当時の高度な音楽理論を十分踏まえ、実際の演奏効果を重視し、現実をもわきまえた実用的な様式の音楽、来るべきルネサンスの音楽を予言するようなもので、プロト・ルネサンス(前ルネサンス)様式の名で呼ばれることもあります。

 イソリズムのモテトゥスを数曲残していますし、イソリズムによらないモテトゥスも作曲しています。新しい様式によるモテトゥスが出現します。必ずしも定旋律は用いられず、イソリズムの手法も無関係となっています。これもパロディ技法の先駆的例と言えます。

 15世紀の新しい教会音楽

 新しい分野の教会音楽が次第に増加してきます。ミサでは、通常文ばかりでなく固有文も見られ、ミサ以外では、晩課のための作品が多くなります。賛歌とマニフィカトが目立ちます。
 1417年、マルティヌス5世をローマ教皇に選出することで、教会は一本化し、音楽活動も活発になります。
 優秀な音楽家を育てつつあったフランドル地方を領内に持つブルゴーニュ公国では、宮廷礼拝堂に、ジャン・タピシェ、ニコラ・グルノン、ピエール・フォンテーヌやバンショワなどの優れた音楽家たちが名を連ね、それを基礎に活発化したのが、ブルゴーニュ楽派、それを含むフランドル楽派です。彼らによってルネサンス音楽は生み出され育まれることになります。

 最終的にルネサンス音楽が成立するには、もう一つイングランドからの音楽の影響が必要であったのですが。