ルネサンス初期の教会音楽(その4)


 デュファイのミサ曲

 イテ・ミサ・エストを除くミサの通常文全体をそろえたミサ曲で、確実にデュファイの作と判っているものは6曲だけです。

 最も初期の作品は「ミサ・シネ・ノミネ(無名のミサ曲)」として知られています。最近は、この曲と 1423年7月18日に行われたカルロ・マラテスタとヴィットリア・コロンナとの婚礼を祝って書かれたシャンソン「目覚めよ (Resvellies vous)」との間に音楽的な関連があることがわかり、ミサ「目覚めよ」と呼ばれることもあります。
 2つ目は、1427年の作と推定される「聖ヤコブのミサ曲 (Missa S.Jacobi)」です。聖ヤコブの祝祭日のために作曲されたもので、通常文だけでなく、4つの固有文(入祭唱、アレルヤ唱、奉献唱、聖体拝領唱)も含めています。最後の聖体拝領唱「従って来たあなた方 (Vos qui secuti estis)」は、しばしば史上初のフォーブルドン作品とみなされています。

 1440年以降、デュファイが故郷に戻って以後に作曲された4つのミサは、曲の構成からも音楽的内容からも遙かに円熟したものとなっています。いずれも4声部で、特定の旋律を定旋律とし、それをテノールに歌われているため「定旋律ミサ曲」の名で呼ばれることもありますが、それぞれの楽章の冒頭を共通の旋律で歌い出すなど5つの楽章を音楽的に関連付けていることから、「循環ミサ曲」と呼ぶのが相応しいと一般には考えられています。
 1450年代に作曲されたと思われる2つのミサ「もしも顔が青ざめているならば (Se la face ay pale)」と「武装した人 (L'homme arme)」は、世俗的旋律に基づく作品です。
 晩年の2つのミサは、聖歌の旋律を定旋律にして作曲されています。「見よ、主の乙女を (Ecce ancilla Domini)」は、定旋律を2つ持つミサ曲。

 デュファイ最後のミサ曲

 ミサ「アヴェ・レジナ・チェロルム」は、1470年代初め頃の作と推察されています。
 有名な聖母マリアの交唱の一つを定旋律としていますが、パロディと呼んでもいいような手法が見られるのが特に注目されます。また、作曲家の円熟した作曲技法の数々が凝縮されて、一つの大きな芸術作品としてまとまっています。ポリフォニー技法の粋を集めて書き上げられています。循環ミサ曲の基本的構成、定旋律の用法、模倣の手法、巧妙なドゥオの書法などがそろっています。
 1470年頃、「死者のためのミサ曲」を作曲したことが記録に記されていますが、作品そのものは残っていません。

 かつてデュファイの作とされながら、最近の研究で彼の作品リストから削られてしまったものに、ミサ曲「カプト」があります。定旋律がイングランドセーラム聖歌「ペテロに来たり (Veni ad Petrum)」から取られていること、デュファイの名がキリエにだけしか記されていないこと、キリエだけは他の4つの楽章と音楽様式が異なることなどから、現在は、デュファイはキリエだけを作曲し、他のは無名のイングランド人の作と考えられています。