◆スペイン(11世紀)◆


 ◆スペイン◆

 AD1000年頃、多くのムーア人学者がスペインに現れ、算術や天文学、また代数の文献を残しています。

 コルドバ生まれのイブン・アルサッファール(Ibn al-Saffar)は、天文表と天文器具について書いています。少し後(1050年頃)、イブン・アルザルカラ(ツァルカラ?)(Ibn al-Zarqala)は、恐らくコルドバの生まれだと思いますが、天文学占星術について著述し、天文表を残しています。

 その世紀の後半、デニア(Denia)出身のスペインの医学者アブル・サルト(Abul-Salt)は、幾何学天文学について書き、ジャビール・イブン・アフラ(Jabir ibn Aflah)(1140年と 1150年の間に没)、一般にはヘベル(Geber)として知られていますが、セヴィリアで活躍し、天文学や球面三角法、メネラオスの定理について書いています。

 しかし、11世紀の終わり、スペインで最も学識ある学者は、イスラム教徒ではありませんでした。ユダヤ民族、彼らは都合のよいことにスペインの東洋文明との関係で述べられることになるのですが、全般的に、キリスト教の支配でよりもサラセンの支配の下での方が、よい扱いを受けていました。この時代以前に、イタリアでいくらか活躍したことはありましたが、ムーア人からの励まし受け、ユダヤ人たちはスペインの数学の発展に少なからぬ貢献をし、キリスト教徒たちは、数学に関するアラビア語の著作の最初の知識を彼らに負うています。

この世紀、ユダヤの優れた学者の第一は、アブラハム・バル・キイア(Abraham bar Chiia)(アブラハム・ユダエウス(Abraham Judaeus))、一般に、サヴァソルダ(Savasorda)として知られるバルセロナ生まれの人です。(1070年頃から 1136年頃)

彼は、天文学について著述しましたが、主として、算術、幾何学及び数学的地理学などを含む百科事典のために知られています。断片しか現存しませんが、彼はまた、Liber Embadorumという書名の著作も書いています。この著作は、チボリのプラト(Plato of Tivoli)によってヘブライ語からラテン語に翻訳されました。